シカゴごあんない

基礎データ

シカゴの世界一・世界初

シカゴの由来と生い立ち

シカゴと日本

シカゴの学術文化

シカゴの新聞

シカゴが舞台になった映画

シカゴのプロスポーツ

シカゴの有名人

1.シカゴの基礎データ

(1)シカゴの特徴

摩天楼発祥の地

近代建築の宝庫と呼ばれ、世界最古の鉄筋高層ビルや超高層ビル、奇抜なデザインのビルなどが存在。

コンベンション・シティー

アメリカのほぼ中央に位置するという地の利から、コンベンションや産業見本市が開催されることで有名。大規模なものでは5万人を超え、市内のホテルの確保は困難になる。

交通の要所

アメリカのほぼ中央に位置することから、かつては水路・陸路、現在は空路の要所として繁栄。

シカゴの産業

1871年のシカゴの大火を境に大きく変貌。以前は、穀倉地帯と家畜置場があったことから農畜産業が盛ん。大火後は農業から工業へと変わり、家具市場・冷凍食品・家電・工業機械・通信販売等が全米トップ。

シカゴ発祥の産業

マクドナルド、リグリー(チューイングガム)、ユナイテッド航空など。

(2)人口

約 283万人(シカゴのあるクック郡は528万人、イリノイ州は1283万人)

(3)人種比率

在留邦人:駐在員家族・留学生を中心に約 8,500人

 

(4)シカゴの気候

 シカゴにも四季はありますが、春と秋が短いのに比べ、冬が大変長く続きます。気温差が激しく、天気は一日のうちに何度も変わります。日本の様に一日中雨が降り続くことは殆ど無く、雨が降ったとしても数時間後には止みます。

 シカゴの気候は、東に横たわるミシガン湖の影響を色濃く受けています。ちなみにシカゴの緯度は日本の函館にほぼ匹敵します。シカゴの冬は寒さが厳しく、華氏0度(摂氏マイナス 18度)を下回る日もあります。特にシカゴ名物の風が吹き荒れる時は、体感温度は実際の温度よりはるかに寒く感じられます。シカゴは「ウィンディー・シティー」と呼ばれており、この呼び名は風の強いシカゴの気候から来ていると思われがちですが、実はシカゴの政治家が”Long Winded(息の長い)である事を形容して始まったものです。

(5)オヘア国際空港

開港

1943年

敷地面積

7,000エーカー(約28ku)

使用されている滑走路数

6本

離発着数  

日約 2,500便、一時間に約100便、約 35秒に一機

成田―シカゴ直行便

ANA1便、JAL1便、ユナイテッド 1便(ANAと共同運航便)、アメリカン 1便の一日計4便

(オヘア到着時間順)(2008年11月現在)

 シカゴのオヘア国際空港は過去30年以上も世界で最も交通量の多い空港として知られてきました。ユナイテッド航空、アメリカン航空がこの空港をハブ(拠点)にしており、毎日2500便余りの航空機が目まぐるしく発着し、 18万人がこの空港を利用しています。成田空港に滑走路が一本しかないのに比べオヘア空港には滑走路が7本もありますが、それでもフルに使用されパンク寸前と言われており、現在オヘア空港の拡張計画が検討されています。ユナイテッド航空の本拠地ゆえ、ユナイテッド機が毎日745便出る他、アメリカン航空が 582便、その他の便を入れると2200機以上が離陸している計算になります。オヘア空港は”ORD”と略されますが、これは以前この地帯が広大な果樹園(orchard)であった事に由来しているという説がありますが、実は第2次世界大戦中の戦闘機パイロット、ブッチ・オヘア海軍少佐の栄誉を讃えるためつけられた名前です

(6)シカゴの産業

 シカゴ地区に本拠地を構えるアメリカの大企業には、ハンバーガーチェーン店のマクドナルド、航空会社のユナイテッド航空、食品のサラ・リー等があります。マクドナルドはシカゴ郊外に本格的な第一号店を開きました。シカゴ地区は米国における産業・交通の一大センターであり、周辺にはミシガン湖及びオハイオ・ミシシッピ両川の水運に恵まれて発達した全米屈指の穀倉地帯から、自動車・鉄鋼・機械・ハイテクに至るあらゆる業種を網羅した大工業地帯を擁しています。経済活動は活発を極め、米国経済の心臓部の役割を果たしています。この為、全米はもとより世界各地との貨客の往来は特に頻繁で、オヘア国際空港は、過去30年以上も世界で最も交通量の多い空港として知られてきました(現在世界で最も交通量の多い空港はハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港)。

 

 また、シカゴ・ユニオン・ステーションには全米各地から主要幹線列車が出入りしています。市内にはシカゴ商品取引所(CBOT)、シカゴ商業取引所(CME)等があり、ここで行われる先物取引は全米及び世界の相場の動向を大きく左右し、時に「シカゴ筋」と称され てきましたが、2007年7月、CMEがCBOTを買収し、世界最大の先物取引所である「CMEグループ」が誕生しました。ちなみに、「アメリカの金融先物市場の父」といわれるレオ・メラメド氏は1970年代にシカゴ商業取引所を舞台に先物取引を育てましたが、同氏は日本人外交官杉原氏の発行した ビザのおかげで子供の時にホロコーストから逃れ、米国にたどり着いた人です。

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3.シカゴの由来と生い立ち・大火

(1)由来

 イリノイ州北東部のミシガン湖岸に位置するシカゴは、今から5千年前にポタワミ族インディアンがシカゴ川流域に住み着いたのがその始まりと言われています。「シカゴ」はインディアンの言葉からきていますが、「偉大」を意味するという説とこの地域に昔から野生のネギが多く生えていた事から「臭い所」を意味するという説があります。

 17世紀に白人の移住が始まり、 1833年についにシカゴの街が誕生しました。東部からアイルランド系・ポーランド系・イタリア系等の移民が流入し、 1830年代にはわずか6万人であった人口が 19世紀中頃の急速な発展に伴い、1870年には30万人にまで増加しました。

 1871年にはシカゴの大火により、建造物の大半を焼失するという大被害を被りますが、その後めざましい復興を遂げ、 1890年には人口100万人を突破し、ニューヨークに次ぐ全米第二の都市となりました。1893年にはコロンブスの新大陸発見400年を記念するコロンビア万国博覧会がシカゴで開催され、 3千万人がシカゴに押しかけました。これは当時のアメリカ人の2人に1人がシカゴに行った計算になります。この機会に建設された数多くの道路・公園・博物館等は現在でもシカゴ市の骨格を成しています。

(2)大火

 1871年 10月8日の夜9時頃、牛小屋の牛がランプを蹴飛ばした為にこの火事が起こったと言われています。火は折からの強風にあおられ、あっという間に燃え広がり、 3日間にわたり燃え続けました。当時のシカゴの街の3分の2にあたる900万平方メートルの土地が焼き尽くされました。死者300人、焼失した建物2万戸、住宅を失った市民 9万人、損害は5億ドルに上り、保険会社も焼けてしまった為に損害賠償もできないありさまでした。

 街の給水塔であったウォーター・タワーはかろうじて焼け残り、唯一当時の姿を残すものとなりました。(日本総領事館のすぐ近くにあり、シカゴの観光名所の一つです。)この時シカゴ・トリビューン紙は火災で壊滅的な打撃を受けたシカゴ市民に「シカゴは蘇る、をこれからの合言葉にしよう」と呼びかけ、これに応えて、ルイス・サリバンやフランク・ロイド・ライトといった世界の有名建築家がシカゴに集まり、この街の再建に参加しました。大惨事となったシカゴの大火ですが、この火事のためにシカゴは急速に近代化の道を辿る事ができたともいえます。

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4.シカゴと日本

(1)出会い

 シカゴを初めて訪れた高名な日本人は1872年(明治5年)の岩倉具視特使一行でした。ワシントンD.C.に向かう途上の一行がシカゴに到着したのは、シカゴの大火の 3ヶ月後の1872年 1月でした。焼き払われたシカゴの光景を見た一行は、旅先であったにもかかわらず5千ドルという多額の寄付をしたといいます。

 1893年の万国博覧会の際には、日本政府は鳳凰殿を寄付し、 1934年にシカゴ市は日本への謝意を表するとしてその周囲に庭園を造りました。ここは大阪庭園として今でもシカゴ市民の憩いの場として親しまれています。

(2)現在のシカゴと日本

 2007年10月時点で管轄10州に進出している日本企業は商社・銀行・メーカー等約1,200(事業所)、雇用者数は約 10万人に上ります。在留邦人は駐在員家族・留学生を中心に約14,400人が居住しています。日系アメリカ人は約 1万8千人で、その大部分は第二次世界大戦後にカリフォルニアやアーカンソー等の収容所から移り住んできた人達です。50年余りを経て現在シカゴ社会においてそれぞれ中流以上の安定した地位を築いています。シカゴ市は大阪市と姉妹都市関係にあり、 2008年には姉妹都市協定締結から35周年を迎えま した。また、東京発着のシカゴ直行便は毎日 4便が運航しています。

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5.シカゴの学術文化

 シカゴは全米有数の学術文化の街でもあります。市内及び郊外には82名のノーベル賞受賞者を誇るシカゴ大学をはじめ、ノースウェスタン大学等多数の有名大学が集まっています。

 シカゴが誇る科学産業博物館、フィールド自然史博物館は全米で最も特色のある博物館であり、シカゴ美術館はニューヨークのメトロポリタン美術館及びボストン美術館と共に米国三大美術館の一つとされています。この美術館は日本の浮世絵や印象派のコレクションで知られていますが、特に寄贈者の遺言で門外不出となっているスーラの「グランドジャット島の休日」という点描画が有名です。印象派・ 20世紀のアメリカコレクションは大変質の高いものです。

 シカゴ交響楽団の奏でる音楽は世界的名声を得ており、またリリック・オペラはアメリカ3大オペラのひとつに数えられています。

 シカゴは優れた建築物でも有名で、高層建築物が織り成す都市景観は言葉に出来ない程素晴らしく、シアーズ・タワーを始めとする数多くの高層建築が林立する摩天楼は、まさに近代都市美の極致です。また、ミシガン湖畔に展開する緑滴る公園や叙情豊かなヨットハーバー・水面に高層ビルを投影しつつ静かに市内を貫流するシカゴ川等の風景は旅行者の心に忘れがたい印象を与えるでしょう。

(1)シカゴの大学

 シカゴには50以上のカレッジや大学がありますが、中でも最も有名なのは、82人ものノーベル賞受賞者を輩出しているシカゴ大学でしょう。シカゴ大学がはじめて博士号を授与したのは、日本人の浅田栄治さんでした。現在でもシカゴ大学のカレンダーには”Eiji Asada received the first ph.D.”の記載があります。 1942年、シカゴ大学で物理学者のエンリコ・フェルミ教授が核エネルギーの連鎖反応実験に成功し、これが後の広島・長崎に落とされた原子爆弾となりました。キャンパス内には「原子力」と題するヘンリー・ムーアの彫刻が記念碑として残されています。なお最近では、シカゴ大学病院はテレビドラマ「ER」の舞台ともなりました。 1855年に設立されたノースウェスタン大学は、ビジネス、ジャーナリズム、法律及び医学部で全米でもトップクラスです。ここのジャーナリズム学科は著名なコラムニストや記者を輩出しています。ロヨラ大学はシカゴで最も古い大学でイエズス会系の大学としては北米最大です。 また、2008年にはエンリコ・フェルミ研究所の南部陽一郎名誉教授がノーベル物理学賞を受賞しました。

(2)シカゴの音楽

 シカゴと言えば、シカゴ・ブルースとジャズ。「ブルースならシカゴ」と言われる程、シカゴはブルースの本場として不動の地位を築いています。ジャズを語る上でもシカゴは欠かせない都市です。

 もともとアメリカ南部で生まれたブルースをシカゴに持ち込んだのは、第二次大戦前後に職を求めて南部から移住してきたアフリカ系アメリカ人でした。マディやハウリンをはじめ、ウィリー・ディクソンやリトル・ウォルターなどによって作り上げられたシカゴ・ブルースは、 50年代から60年代にかけて大きく花開きました。ローリング・ストーンズやベニー・グッドマンなどの偉大なジャズマンを輩出してきたジャズの街でもあります。かたや、スマッシング・パンプキンズなどが巣立ったロックの土壌もある他、ゴスペル・レゲエ・ラテン・アフリカンなど民族色豊かな音楽も盛んに行われている音楽のるつぼです。

 世界的な成功を収めたブルースマン、バディ・ガイがレッド・ホット・チリ・ペッパーズと競演したり、オーティス・ラッシュがパール・ジャムの前座で出演するなど、異なるジャンルの音楽でさえも密接に結びついているのがシカゴのミュージック・シーンの特徴といえるでしょう。

(3)シカゴの有名な建築物

 関東大震災で崩壊しなかったと言われる有名な帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトもシカゴで建築をはじめました。彼の家とスタジオは今でもシカゴ市の近くに残っています。ライト建築の特徴は、どっしりとした安定感を保つデザインで、自然との調和を重視するプレーリー(大草原)スタイルです。クリントン大統領が訪日した際、当時の宮沢喜一総理に個人的な土産物として持参したのもライトがデザインした花瓶でした。プレーリー様式の真髄で、住居用の建築では最高傑作とライト自身も語る世界的に有名な家屋「ロビー邸」は現在シカゴ大学が所有しており、キャンパス内で見ることができます。

 また、日本の建築家黒川紀章氏の設計したアスレチック・クラブ、イリノイ・センターもダウンタウンにあります。

(4)シカゴの野外アート

 シカゴの街は野外展示場と言われる程、一流の作家や地元のアーティストによる彫刻が見られます。というのも、建物の総工費の0.5%を公共の環境設備に費やさなければならないという規則がある為。そのおかげで建物のロビーや広場で有名な彫刻や絵画に出会うことができます。

アーティスト

彫刻

場所

年代

ピカソ

シカゴ

デイリー・プラザ

1967年

シャガール

モザイク

ファースト・ナショナル銀行

1974年

デュビュッフェ

起立した野獣へのモニュメント

トンプソン・センター

1984年

カルダー

フラミンゴ

シアーズ・タワー

1974年

ミロ

シカゴ

ピカソの彫刻の横

1967年

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6.シカゴの新聞

シカゴには大手の新聞社が社あります。シカゴ・トリビューンシカゴ・サン・タイムズです。

 

(1)シカゴ・トリビューンは創立 150年以上の歴史を持つ全米5大新聞の一つです。トリビューン紙の誇るスクープには、タイタニック号の沈没やチャールズ・リンドバーグの飛行成功などがあります。トリビューン・タワーはネオ・ゴシック調の建物で、ミシガン通りでもひときわ目をひきます。 1922年、当時10万ドルの賞金をかけて建物のデザインコンテストを開いたところ、日本を含め23ヶ国から応募があったそうです。正面玄関の壁には、ノートルダム寺院・ウェストミンスターアビー・パンテオン・バチカン・万里の長城・大阪城などの破片が埋め込まれています。世界各地に派遣された特派員たちが土産物として有名な建物の一片を持ち帰ったもので、全部で 120個あると言われています。歴代の責任者は共和党びいきでしたが2008年、同紙ははじめて民主党の大統領候補への支持を表明し、話題になりました。世界級の新聞として定評があり、コラムニストのボブ・グリーンは日本でも人気があります。

 

(2)シカゴ・サン・タイムズは 102年続いた旧シカゴ・デイリー・ニュースを引き継いだ新聞で、タブロイド・サイズに変えてから売れ行きが伸びました。また、サン・タイムズ紙はマイク・ロイコ等の優秀なコラムニストを生み出していることでも知られています。

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7.シカゴが舞台になった映画

 シカゴは全米でも有数の映画撮影スポットです。97年にはメジャー・インディペンデントを合わせて30本近くの映画がシカゴで撮影されました。シカゴで映画産業が盛んな理由として、著名な建築家達による重厚な古い建築物と摩天楼などの近代・現代建築が見事に調和する得がたいロケーションであること、また、シカゴ市やイリノイ州が、地元映画産業が生み出す経済効果を期待して熱心な誘致活動を行っていることなどが考えられます。詳細はこちら

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8.シカゴのプロ・スポーツ

(1)バスケットボール

  イースタン・カンファレンス、セントラル地区に所属するシカゴ・ブルズ。かつては”神”マイケル・ジョーダンを擁し、強豪と呼ばれたチーム。しかし、ジョーダンの引退とともに長い栄光の時は終わり、解体されて平凡なチームになってしまいました。2001年にはジョーダンはワシントン・ウイザーズにて復活。その麗姿を、指をくわえて眺めたシカゴっ子にとって、ブルズ再興は悲願とも言えます。2004年〜2005年、2005年〜2006年のシーズン共にプレーオフ進出を果たし、復活の兆しを見せつつあります。

(2)野球

 シカゴにはリグレー・フィールドを本拠地とするシカゴ・カブス(ナショナル・リーグ)と、USセルラー・フイールドを本拠地とするシカゴ・ホワイトソックス(アメリカン・リーグ)の二つのプロ野球チームがあります。

 1914年に建設されたリグレー・フィールドは、 1932年にベーブ・ルースが予告ホームランを打った球場として知られています。1998年にはドミニカ共和国出身のサミー・ソーサ選手がマーク・マグワイアー選手(セントルイス・カーディナルス)の 70本に続く史上2番目の最多記録の66本のホームランを打ち、ナショナル・リーグの最優秀選手賞を受賞、ケリー・オールスター・チームで日本オールスターと対戦しMVPを獲得した他、サミー・ソーサ基金を設立し、シカゴ及びドミニカ共和国の恵まれない子供達を支援するなどの慈善活動を積極的に行 いました。 ホワイトソックスでは、2004年から2005年まで高津臣吾投手が、2005年から2007年には井口資仁2塁手が活躍しました。また、2008年3月より福留孝介外野手がカブスに入団し活躍中です。

(3)アメリカン・フットボール

 シカゴ・ベアーズNFL所属のプロ・フットボールチームですが、チーム・バンドとチーム・ソングを作ったこと、そして試合のラジオ中継をした初めてのチームとして知られています。最初はリグリー・スタジアムで試合をしていましたが、 1924年に戦没者を記念して建設されたソルジャー・フィールドにホーム・グラウンドを移しました。1985/86年にはスーパーボールで優勝を飾っています。 2006/07年のスーパーボウルにも進出しましたが、インディアナ・コルツに敗れて優勝を逃しました。

(4)アイスホッケー

 シカゴ・ブラックホークスは、1926年に設立されたNHLの名門チームで、スタンレーカップをこれまで3回取得しています。最後に優勝したのは1960/61年です。ブラックホークスは 1994年にホームアリーナをシカゴ・スタジアムからユナイテッド・センターに移しました。このチームからは何人もの選手がホッケーの殿堂入りを果たしています。

(5)サッカー

 メジャーリーグのサッカーチームであるシカゴ・ファイアーは、98年の第一シーズンでMLSカップと全米オープンカップとの両方でリーグ優勝を果たしました。本拠地はトヨタ・パークで、2006年のFIFAクラブワールドカップで来日し、日本でも有名となったメキシコ代表のクアウテモク・ブランコが在籍しています(09年現在)。チームはヒスパニック系およびポーランド系移民の子孫に当たるシカゴっ子にとりわけ人気があります。

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9.シカゴの有名人

(1)シカゴ出身の有名人

 ヒラリー・クリントン上院議員の他、ノーベル文学賞を受賞したソール・ベロー、ポップ歌手のマイケル・ジャクソンやリチャード・マークス、そして日本で活躍しているタレントのデーブ・スペクターがシカゴ出身です。

(2)デイリー市長(市のサイト)

 現在のシカゴ市長リチャード・M・デイリーは 2代目に当たります。父親のリチャード・J・デイリーは5回の再選を果たし、シカゴの歴代の市長の中でも最も長い 1955年から1976年までの21年間シカゴの市政を取り仕切りました。米国有数の大都市をコントロールし「最後のボス」と呼ばれたデイリー市長は、市の予算編成権や人事権を市議会から剥奪して行政担当部局に移し、計画課を新たに設置して市行政の効率化と中央集権化を推し進めました。そのような組織再編成によって、オヘア空港の建設・高速道路の整備・シカゴ市内のすべての街路に電灯を設置するなど、シカゴ市政の改革・経済の発展に大きく貢献しました。この頃、民主党内での彼の政治的影響力は州・全国レベルにまで及び、 1960年の大統領選挙では共和党候補者のニクソンを相手に苦戦していたケネディから支援を求められ、民主党の票集めに尽力したデイリーがケネディにイリノイ州での勝利をもたらしたというのは有名な話です。

 息子のリチャード・M・デイリー市長は 2007年 2月に6選を果たしました。任期を全うした場合、市長在職期間が22年となり父の最長記録を上回ることになります。市長のイニシアチブのもとで街の美化運動が進み、街全体が公園のように美しく蘇りました。デイリー市長は教育改革を大きな政治目標として掲げており、 99年には当時のクリントン大統領が年頭教書演説にてシカゴ市の公共教育の改善をモデル・ケースとして賞賛しました。

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